『県美の図書室は無料の知で溢れている。』
2014年12月01日 [ 未分類 ]
こんばんわ。
気がつけば、明日から12月ですね。
早すぎる…11月は10日間ほどしかなかったのではないか…とさえ思ってしまいます。
それだけの時間を生きているはずなのに、その実感が伴わないのが悔しいですね。
しかし、手帳を見返すとたくさんの人に会い、色んなところに行ってることを再確認します。
「えぇ!この人に会ったのは11月?そっかぁ…」というような感じです。
時間の経過が早く感じれるということは、
逆に、非常に充実した時間を過ごせているのかも知れませんね。
とにかくそれは結果ですので、明日からも大切に生きたいと思います。
先日、自宅前で厚着をして、ランニングをしている女性を見かけました。
冬になりエネルギー代謝が低下しているのに、チョコレートが美味しくて…
そう、ダイエットのためのランニング
貴重な時間を体重を落とすためのランニングに費やしている女性
その時間の使い方と目的はもちろん彼女が決めればいいことです。
しかしながら、小生はその彼女の走り方を見て、ため息が出てしまったのです。
大きな筋肉は活動させず、関節も可能な限り小さな動き、そのくせに速度だけやけに速い…
痩せる気、全くないやん!むしろ、超省エネ走りやん!何を完走したいん!?という感じでした。
目的があって、モチベーションがあって、実行しているのに、絶対に結果が伴わない。
こんな残念なことがあるでしょうか?
その理由はたった一つ。
「無知」
彼女がもう少し知っていれば、あのような走り方はしていないでしょう。
もちろん、結果も大きく違ってきたでしょうしね。
やはり、「知」は非常に重要なのだと改めて思ったわけです。
「知らない方がいいこともある。」などと言いますが、そうではないような気がします。
知っていても、知らないフリができます。本当に利口な人はそうなのでしょう。
「知」自体は善でも悪でもないのです。包丁と同じです。
使い方によって善にも悪にもなるのです。
「知」はエンジンであり、「徳」はハンドルなのでしょう。
知識をどう活かすかは、その人の心次第です。
どちらにしても、「知ること」は小生の人生において大きなウェイトを占めます。
なんでもかんでも知りたくてしょうがないのです^^
何が知りたいのかは全くわかりません。何かが知りたいのでしょうね^^
だから、何が知りたいのかを整理してから行動するのではなく、
行動してから、何を知ったのかを整理する。
これが小生の行動と知の関係です。
「面白そうやなぁ。」 行動の基準はこれだけです。
先日、兵庫県立美術館に行ってきました。 「だまし絵展」
正直、だまし絵はどうでもよかったのですが、県美に行きたかったんです。
精神的に安藤忠雄を感じたかったのです。
でも、良かったですよ、だまし絵展。
面白いですよね、だまし絵は思い込みがすべて。
つまり、「知」がある人ほど、騙されるわけです。
一体、「知」とは何なのでしょうね。
ただ、ひとつだけ言えること、それは
「知は無限であり、最も高価である。」ということでしょうね。
*久しぶりに県美に行ったので、1枚撮ってみました。
作品名: 「安藤と俺」
気がつけば、明日から12月ですね。
早すぎる…11月は10日間ほどしかなかったのではないか…とさえ思ってしまいます。
それだけの時間を生きているはずなのに、その実感が伴わないのが悔しいですね。
しかし、手帳を見返すとたくさんの人に会い、色んなところに行ってることを再確認します。
「えぇ!この人に会ったのは11月?そっかぁ…」というような感じです。
時間の経過が早く感じれるということは、
逆に、非常に充実した時間を過ごせているのかも知れませんね。
とにかくそれは結果ですので、明日からも大切に生きたいと思います。
先日、自宅前で厚着をして、ランニングをしている女性を見かけました。
冬になりエネルギー代謝が低下しているのに、チョコレートが美味しくて…
そう、ダイエットのためのランニング
貴重な時間を体重を落とすためのランニングに費やしている女性
その時間の使い方と目的はもちろん彼女が決めればいいことです。
しかしながら、小生はその彼女の走り方を見て、ため息が出てしまったのです。
大きな筋肉は活動させず、関節も可能な限り小さな動き、そのくせに速度だけやけに速い…
痩せる気、全くないやん!むしろ、超省エネ走りやん!何を完走したいん!?という感じでした。
目的があって、モチベーションがあって、実行しているのに、絶対に結果が伴わない。
こんな残念なことがあるでしょうか?
その理由はたった一つ。
「無知」
彼女がもう少し知っていれば、あのような走り方はしていないでしょう。
もちろん、結果も大きく違ってきたでしょうしね。
やはり、「知」は非常に重要なのだと改めて思ったわけです。
「知らない方がいいこともある。」などと言いますが、そうではないような気がします。
知っていても、知らないフリができます。本当に利口な人はそうなのでしょう。
「知」自体は善でも悪でもないのです。包丁と同じです。
使い方によって善にも悪にもなるのです。
「知」はエンジンであり、「徳」はハンドルなのでしょう。
知識をどう活かすかは、その人の心次第です。
どちらにしても、「知ること」は小生の人生において大きなウェイトを占めます。
なんでもかんでも知りたくてしょうがないのです^^
何が知りたいのかは全くわかりません。何かが知りたいのでしょうね^^
だから、何が知りたいのかを整理してから行動するのではなく、
行動してから、何を知ったのかを整理する。
これが小生の行動と知の関係です。
「面白そうやなぁ。」 行動の基準はこれだけです。
先日、兵庫県立美術館に行ってきました。 「だまし絵展」

正直、だまし絵はどうでもよかったのですが、県美に行きたかったんです。
精神的に安藤忠雄を感じたかったのです。
でも、良かったですよ、だまし絵展。
面白いですよね、だまし絵は思い込みがすべて。
つまり、「知」がある人ほど、騙されるわけです。
一体、「知」とは何なのでしょうね。
ただ、ひとつだけ言えること、それは
「知は無限であり、最も高価である。」ということでしょうね。
*久しぶりに県美に行ったので、1枚撮ってみました。

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