『書かずに、描いた205ページ』
2016年09月03日 [ 未分類 ]
アメリカのウィスコンシン州で暮らしていたJerika Bolenちゃん
彼女の病気はSMAⅡ型(脊髄性筋萎縮症)
14歳の彼女はこの夏、ある決断をしました。
人口呼吸器が必要な彼女が、それを外すと決断したのです。
思うように体が動かせず、激しい痛みを伴うこの病気
生まれて間もなく発症し、14歳まで頑張ってきた。
そして、彼女は唯一の親であるお母さんにあることを告げる
「この夏で最後にしたい。だからみんなを呼んでラストパーティーをしたい!」
「私は自ら死を選んだのではなく、自然に身を委ねるだけ」
お母さんは悩みましたが、「この子が決めたこと、この子の人生だから」
そう思い、彼女の意思を尊重したのです。
小生はこのことをテレビで観ました。
最後のパーティーの様子でした。
数日後に彼女は安らかに旅立ったようです。
(http://spotlight-media.jp/article/305344401210862733)
乳がんで闘病中である、キャスターの小林麻央さん
昨日のブログでこう書いた
「なりたい自分になる」
彼女は今まで、自分の思うように生きてこなかったのだろうか?
やりたい仕事をして、愛する人と結婚し…
小生の解釈はこうだ。
「自分の時間を思うように使いたい」ということであろう。
「時間」
自分の時間がなくなる=死
人間の死亡率は100%だ。
あなたも、あなたの大切な人も必ずその時が来ます。
若い人たちが毎日そう考えて生きる必要はないでしょうが、
加齢、病気などによって、それを意識する状況になれば、
それをさらに強く意識して生きることはとても大切なことです。
小生は理学療法士として社会に出ました。
患者さん、という多くの方々に出会い、別れてきました。
知識や技術で小生よりも優れている人はたくさんいます。
しかし、すべての方に「ボクが担当でよかった!」と言えます。
それが担当するうえでの、最低限の責任だと思ってきたのです。
そして、せっかく自分に巡ってきたご縁なのだから、
カッコつけずに「ピュア」でいようと務めてきました。
それは無色透明で美しいということではありません。
「人として、人に接する」ということです。
それは友だち、社員、取引先、利用者さん、すべてに言えることです。
患者さんと理学療法士という線引きをしてこなかったからこそ、
見えなかった景色があります。
しかし、だからこそ見えた景色もあります。
「どう生きるのか」は「どう死ぬか」と同じだ。
そう遠くない日にそれが訪れるとしたら、どう生きますか?
それがあなたの家族なら、どう支えますか?
私たち、ARATAKAは「できません」「やめておきましょう」が嫌いです。
だって、その線を越えてこそ、本当の遣り甲斐が存在するからです。
少なくとも、小生はそう生きてきました。
次なる景色へ!
あらゆる線を越えてみようと思います。