『臓器は侵されたが、心だけは最後まで健やかだった。』
2017年07月01日 [ 未分類 ]
小林麻央さんが逝去されたことは皆様もご存知だと思います。
彼女の死は多くの人に何を伝えたのでしょうか。
彼女のことを「強い」と多くの方がコメントしていましたが、
「強い」とは何を指しているのだろうか。
彼女も癌になり1年半の間はそのことを隠していたようである。
しかし、「癌の影に隠れないで生きよう」と思い、公表し、ブログを開設したとのことである。
癌や認知症に共通して言えることは、それらの疾患はその人の代名詞とされることが多い点である。
例えば、「癌患者」という言葉はあるが「脳梗塞患者」とは言わない。
「認知症高齢者」という言葉はあるが、「変形性関節症高齢者」とは言わない。
癌は患者数の多さや、その病気の特性などから「特別な病気」であることが言える。
小林さんもきっと、
「癌の小林麻央」ではなく、「小林麻央」を生きたかったのではないだろうか。
小林さんが「強い」と言われたのはその生きる姿勢なのではないだろうか。
私たちはあらゆる病気や障害のある高齢者の方々を支援する仕事をしているが、
高齢者にも小林さんと同じことが言えるのである。
「End of Life」
私たちの仕事は病気や障害を乗り越え、イキイキと暮らしていただく。
というキレイなものではない。
誤解を恐れずに言うと、「その人らしい、その人が思い描く最期」の実現なのです。
もっと平たく言えば、「どう死ぬのか」ということです。
人間の死亡率は100%であり、それは高齢であるほど高まります。
「End of Life」
柏木哲夫氏の言葉を借りれば、「人は生きてきたように死んでいく」である。
小生も自身の拙著で述べているが、「最期だという自覚こそが最期を輝かす」
小林さんは「なりたい自分になる」と仰っておられたようですが、
小生が感じた小林さんの強さはその自覚にある。
決して、治療を諦めたわけではなく、前向きに死を自覚したのではないでしょうか。
その自覚が心を広く、深くし、自分の人生における新たな視点を生むのです。
先日、ある方と同じテーブルで食事をする機会がありました。
緊張感のあるテーブルは静寂のような沈黙のような張り詰めた空気…
誰も話しかけないので、
「これからの高齢者がどう暮らすべきか、
それを支える医療や介護の社会保障制度がどうあるべきか、
そのための財政施策はどうすべきか、私にはアイデアがあります。
是非ともお聞き頂ける機会を賜りたく存じます。お願いいたします。」
小生はその方に、そう伝えました。
その方は笑顔で「そうですか、それは是非ともお伺いしたいですね。」と。
その方はその場だけでのお返事だったかもしれませんが、小生は本気です。
名刺交換もさせていただきましたので、すでに「知り合い」です^^
小林麻央さんが「美しく生きた」と評されるならば、
小生は一人でも多くの高齢者にもそうなっていただきたいのです。
いや、そうすることが私たちの仕事なのです。
ということで、昨年の秋に「会いたいな。」とつぶやいたその人に、
早々とお会いできたわけです。
これは「中村、やれ!」と天が言ってくれているからだと思います。