『小生が兵士だった頃・・・』
2011年04月25日 [ 未分類 ]
こんにちわ。
雨が2、3日続きましたが、本日はお天気でしたね。
我が西宮市が誇る甲子園球場でも本日は無事に
試合が開催されたようですしね。
見事に横浜に敗戦したようですが。。。
さて、小生は野球をプレーするのも、観戦するのも好きです。
小学校1年から高校3年まで野球漬けでした。
現在は観戦のみになっていますが、未だに社会人現役で
プレーしているチームメイトもいます。正直羨ましいですね。
教師になり野球部の監督をしている者もいますし、
特に高校の同級生は何かしら野球に関係している者が多いです。
小生は大阪市立桜宮高等学校体育学科の卒業です。
大脳が筋肉でできている者ばかりで、色白は女子を含めてゼロです(笑)
野球部の一年生は入学後には70名ほどいますが、3ヶ月で半減します。
理由はもちろん厳しいからです。
一年生は練習などさせてもらえません。
「桜高の野球部とは何ぞや」をカラダをもって叩き込まれます。
時効だからいいでしょうが、先輩や先生に殴られない日はないです。
特に生意気だった小生はね^^
「野球部一年生規則」は聖書よりもぶ厚いんじゃないかな(笑)
半分以上が理不尽極まりない事柄ばかりです(笑)
朝のグランド整備はもちろん、その整備時の服装や姿勢、方法などなど
盛りだくさんです。グランドを整備する器具をトンボと言うのですが、
そのトンボは全て一年生が作成します。自腹で自宅で。。。
年間で十数本ぐらいでしょうか。阪急電車にトンボを持って乗り、
自転車に積み、提出日は朝から2年生がチェックするんです。
もちろんこれにも全て規格があり、重すぎる物や釘の出具合、
紙やすりのかけ具合、名前の書き方まで、トンボだけで書き出せば
ホットペッパーぐらいは充分あります(笑)
公立ですので、お金がないので縫い目が切れたボールを縫うのも
一年生の仕事です。
「今日、ボール縫いな。一人2個!」みたいに2年生に渡されるんです。
ヘトヘトで食事を摂る元気もない中で、その宿題を夜な夜なするんです。
もちろん「出来ませんでした!」なんて言った日には・・・ですよ^^
宝石職人か!ってぐらいの仕上がりチェックをされるのは当然です。
小生は電車の中で縫っていましたね。みんなにジロジロ見られましたが、
当時は何よりも2年生が恐ろしかったので、それぐらいは平気でした。
まぁ、そんな話は置いといて。
先輩に元阪神タイガースの矢野燿大さんがいます。
小生が現役の時ははまだ中日ドラゴンズにおられました。
昨年引退されたんですが、その矢野さんの引退パーティーがありました。
主催はOB会です。
OBだけで何人おんねん!ってぐらいたくさんいてるんですが、
今回のOB会、パーティーの参加者は300名程度でした。
最年長は白髪に杖・・・ですもんね。
チャリティーオークションもありました。
売上は矢野さんが自ら設立した「39基金」への寄附。
入札?
そりゃしないといけないでしょ^^
まぁ、そないに矢野選手のファンでもないんですけど(笑)
怒られますね^^
方法は一発入札。
単位は万。
「いくらしようかな?!」と思ってたんですが、
結局、テーブルの同級生らが決めました。
そして見事に2つ落札しました★
数々の大先輩を差し置いて。。。
2位と大きく差をつけて・・・
どちらも半額で充分足りました(笑)
隣のテーブルにおられる当時、「鬼」と呼ばれた2年生から
また鉄拳が飛んでくるかと思いきや、
まさかの・・・
「なぁ、中村~ 見せてもらっていいかなぁ~」って。
そして当時、「神」と呼ばれた3年生からは
「なぁ~ 写メ撮ってもいいかなぁ~。」って。
ええけど!!!
調子狂うので、「おい!中村見せろ!」ぐらいでよかったんですが(笑)
まぁそんなこんなで会は終了しました。
またOB会ですので、場内には色々な部の歴史が紹介されていました。
これほどの歴史があったんだぁ。
この歴史の一部を担っていたんだぁ。
と、感慨深い思いになりました。
また、本当に厳しかった3年間ですが、今では小生の誇りです。
あの1年生の1年間は当時は地獄、今では感謝。
徴兵制がない日本では本当に貴重な精神修行でした。
もう1回!
絶対に嫌ですけど、もう1回、甲子園を目指せるなら考えますね^^
もちろんキャッチャーは矢野さんに依頼します(笑)
では、写真をどうぞ。
(矢野さんとの写真撮影は禁止したが、小生は落札者なので、
カメラマンが撮ってくれました。)




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